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わたしは、この映画で<どんでん返し>の意味を楽しんだ。
だって、この題名は<どんでん返し>作品で使われる語りの騙しの技法のことだから。
さて、<どんでん返し>の<どんでん>とは何か? 
それをどう返すというのか?
それより、なぜ人は己のことではない他人の物語に惹かれるのか?
他人に感情移入し、知らない自分を、知らない感情を見つけるからじゃないか。
そして、このコメントも<燻製ニシンの虚偽>を使って書きました。
あなたは、この映画で<どんでん>を返すのか? それとも返されるのだろうか?
見た後で、あなたの話を聞きたい。

映画家 菱沼康介

現実にありそうで非現実的な物語に惹かれる。
主人公のホームレスになった男が現状を変えるきっかけかと期待していたので最後はいい意味で観ている私の期待は裏切られ、しかしある意味この映画の先にある展開を変える力を与えたのかもしれない。
人の面白味も醍醐味も才能でさえ人生の暗闇でこそ美しく開花していくものなのか。人の心に忠実な映画、堕落した人間を演じるのに最高の俳優であり、一ファンとして真砂豪の心地よい存在感で魅せられる作品。

俳優・監督 合アレン

“虚偽の物語”の中に挟まれる“映画的真実”

 冒頭、仄暗い蕎麦屋の店内で、背中越しの男が「女は黙って亭主についてくればいいんだよ」と怒鳴っている。この時代遅れの男は、その日、妻に離婚されたようだ。公園で冷酒を呷っていると、見知らぬ男がやってきて脚本のゴーストライターにスカウトされる。

 ある脚本家の巨匠は云った。「誰でも一生に一つは傑作を書くことができる。自分の熟知していることをちやんと書けば」と。果たしてそうか。況や、素人においてをや。
この映画のラストでも、当然、それは明らかにされる。ドンデン返しのオマケまでついて。

映画「燻製ニシンの虚偽」は、“虚偽の物語”を語る映像の中に、部分的ではあるが“映画的真実”を感じることができる。スクリューの旋回する音と共に現れる主人公の想念。その広く曇天の映像は、下方に団地のような建物が横に連なり、大きく覆われた空には、ゆっくりと雲が流れている。続いてホームレスやにこやかな家出少女、元風俗嬢などの執筆している姿がモンタージュされる。時代遅れの男の心情を捉えて余りある。

映画監督 梶間俊一